慈愛と自愛
「慈愛」・・・常に慈しみを注いで愛する(可愛がる)こころ。
「自愛」・・・自分を認め大切にすること。
大切なモノを慈しむ。
誰かを、何かを、慈しむことで返ってくる「礼」という途方もないプラスのエネルギーを得て、自分の内側へ愛情が向く。
精神が満たされ、潜在意識の中から生まれてくる自分を愛する心。
自愛で自らが満たされ、再び誰かへ、何かへと広がっていく慈愛。
自らを認め大切にすること、シンプルだけど心からそう思えるには、簡単なようでなぜかハードルを感じてしまう、そんな葛藤の中にいる自分がいます。
反面、自愛の精神は誰しも分け隔てなく平等に与えられている当たり前のことである、と自信満々で言える自分も存在していて、二面性の間で揺れ動く心の内と、向き合いながら対話する日々です。
最近ご縁をいただく方々のほとんどが、慈愛と自愛の精神の塊、それを地で生きている人ばかり。
そして当然周りには同様の雰囲気を持つ人たちが集まり、素晴らしいコミュニティが形成されている。
それぞれ個性が全く異なり、携わっていることも全然違うのに、なぜか感じるエネルギーは同じ、そんな不思議な感覚。
それを目の当たりにすると、心の中に「あぁ、このままでいいんだ。素のままでいいんだ。」という肩の荷がおりて軽くなるような、ポジティブなマインドが目覚め始めます。
日々恐れている失敗や望んでやまない成功も表裏一体結びついている。
失敗はチャレンジした証、成功は失敗から得た積み重ね。失敗は未来への糧となり、成功は未来への礎となる。
どちらも大切、どちらも未来の自分をカタチづくる宝物。
決して奢らず自分の精神や心を大切に育み、そして慈愛を意識し過ぎて自己犠牲のマインドに陥ってしまわないよう気を付けながら、あくまで、心の中に満たされた幸せをお裾分けする、それくらいの精神がちょうど良いのかもしれません。
まずは自分自身が笑顔で、楽しく、幸せで居ること。
「慈愛」と「自愛」そして、生まれ育った地元への愛情を表現するもう一つの「地愛」という言葉。
この「地」は地球の「地」でもあります。
身の回りから世界中へ、心と心がひと繋ぎになるような、愛情が広がる世界を未来へ紡いでいけたらと願います。
浦上 日章
Text by Urakami Nissho