SAiN Essey

 「一人の命は皆の命によって支えられている。
 絆とは絶対他力の精神である。」

 今から13年前、ある方より頂戴した言葉です。

 その方とは、鹿児島県さつま町にある薩摩薬師寺のご住職。弊社の事業の節目ごとに、御祈願を賜っていて、その度にいただく有難いお言葉に、いつも心が救われています。

 偶然、当時に記録していたメモを見つけ、今の時代だからこそでしょうか、改めてこの言葉の重みが身に染みて理解できるような気がして、色々な思いがこみ上げてきました。

 「今の時代」というのも、あくまで私が主観で思っていることなので、もちろん他意はなく、誰しもに当てはまることではございませんが、これからお話しすることに対して、同じ憂いを感じている方も少なからずいらっしゃるのではないかと思います。

 令和に元号が移って7年目、当たり前の様に手元で色々な情報が拾え、そして発信できる時代になり、手軽に気軽に誰かと接続できる便利な世の中になりました。

 日夜時間に関係なく流れてくる情報は、自分自身が普段意識していない興味の幅を広げるために役に立つ一方で、コントロールを誤ると逆に際限なく入ってくる情報に思考が追い付いていかず、時間を有効活用しているようで、情報に支配されるだけの、思考停止状態に陥ってしまう危うさもあります。

 常に更新される出来事、その受け皿を確保するために、人間は忘れることに関して進化してしまっている、とさえ言われるほどです。

 自分自身の人生を器に例えるならば、いつの間にか零れ落ちていってしまうものより、しっかりと底に留まってくれる確固たる塊で満たしていきたい、そう強く思います。

 一点集中している目線から、少し顔を上げて改めてリアルな人間模様に溢れた暖かみを意識してみるのも良いかもしれません。色々な場面で「絶対他力」という言葉の意味が、そこら中に散らばっているのが実感できるかと思います。

 絶対他力というと「他力本願」という言葉が思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。

 私自身誤った理解をしていたので、お恥ずかしい限りですが、他力本願とは本来、仏教における救済の言葉であり、「他人まかせ」という意味とは異なります。浄土真宗では、この言葉は、仏の力に委ねて救済されること、そして、その力を信じて生きていくことを意味しています。

 誰しも、家族や友人、身のまわりの近しい人に対してはもちろん、見ず知らずの人に対して手を伸ばして寄り添うことができます。

 初対面同士の助け合いや支え合いは、絆よりも縁という言葉に近いかもしれませんね。そのささやかな支え合いが絆や縁を深め、より良い社会を育んでいくのだと思います。

 物の時代から心の時代へ。人に限らず生きとし生けるもの、誰かが誰かを拠りどころにして命が繋がっている。その精神を改めて心に刻み、感謝で溢れる未来を築いていけたら本望です。

浦上 日章

Text by Urakami Nissho