SAiN Essey

有限~かぎりある~を
未来へ繋ぐ

 「有限」と「無限」、言葉そのものが持つ意味自体は相反するものですが、そこに境目はなく、メビウスの輪の様に常に循環しています。

 「無限」に当てはめられるもの、時間や数字、思考、アイディア、夢など、いわゆる概念的な存在がそれにあたるでしょうか。

 ただ興味深いことに、あくまで切り取り方や基準の捉え方であって、明確な線を引いて枠を決めてしまえば、それは「有限」へと姿を変え、目の前にハッキリと輪郭を現し始めます。

 本質は無限であり、過去や未来という概念を飛び越え、私たちの身の回りにあり続けながらも、目でとらえられて、触れられて、確かに存在していて、当たり前に見えてしまうけれど、私たちは「かぎりある、かけがえのないもの」と常に時間を共有していて、それをかけがえのないと悟れるからこそ、その瞬間、自分の体温のように「命」を感じ、大切に捉えることができるのだと思います。

 「全」は「一」であり「一」は「全」である。

 「全」も「一」も同義。
 「一」の存在なくして「全」の成り立ちはあり得ません。

 またその「全」も「一」としてより大きな「全」を創造していくものであり、それぞれが同一の循環の中で繋がっていて、何事においても、一つのことが寄り集まって全体を形成しているという摂理。

 私たちは、無限という大きな「全」の中で繰り返される有限という「一」をどれだけ大切に守って、次世代へバトンを渡していけるのか、使命感を宿した行動をもって体現していかなければならないと思っています。

 そこに確かに存在し、限りが有るからこそ、目の前の一つ一つを受け入れ、大切に育み、愛情を注ぎ、そして慈しむ。
 この美しい環境が永劫続くための一歩一歩を「かぎりなく」積み重ね、かけがえのない「かぎりある」を未来へ繋ぎ、いのちの循環を守っていけるよう心からの祈りを込めて・・・。

浦上 日章

Text by Urakami Nissho