お知らせ
SAiN
2026/06/30
【Featuring SAiN89[施主様からの特別寄稿]四季めぐる空気がうまい家】音を贅沢に楽しむ
冬の終わりというのは、誰もが「早くあたたかくなれ」と願っていることでしょう。
ところが、今年の春は、随分短く感じられました。
五月だというのに、肌をじりじりと焦がすような、「真夏日」も何度かあったためです。
「夏の到来もせっかちならば、私もせっかちに攻めよう」
こんなことを思って、五月中旬に衣替えもしてみましたが、案の定、失敗に終わりました。
こんな落ち着きのない春を迎えたのですが、知人が我が家に遊びに来た際に、「こんな贅沢な音が楽しめるっていいなぁ」なんてこぼしていたのです。
そこで、ハッとさせられました。
あなたは、生活の中で聞こえてくる音に、「贅沢だなぁ」と感じたことはあるでしょうか。
リビングに居ながらにして、鳥の声・蜂の音・風の音が溶け込む様に聞こえることが贅沢なようです。
改めてこう言われると、私の毎日の暮らしが非常に贅沢なものに感じられるようになったので不思議なものです。
春の贅沢な音
春の朝は、贅沢な音からはじまります。
枕元で鳴り響く無機質なアラームではなく、「ホーホケキョ」という、ウグイスのやわらかな鳴き声で目が覚めます。
その後、大慌てで、アラームが騒ぎ始めるという朝を迎えています。
早春のころと比べると、今のウグイスたちは、ずいぶん鳴くのが上手になったような気がします。
庭先で鳴いているのでしょう。音量は、大きいけれども全く不快感がないのはなぜでしょうか。
けれど、このような贅沢なシーズンも、終わりが近づいてきました。
暦が夏へと進むにつれて、ウグイスたちの声は減っていき、もう少しすれば、今度は庭の樹々からジリジリ、ミンミンと、セミたちの賑やかな声に変わっていくのです。
私たちは、暑さ・寒さ、新緑・紅葉などといった肌感や視覚によって季節を感じることが多いのでしょうが、こうしてみると、「音」も季節を楽しむ上でとても重要な役割を果たしていることが分かります。
春の終わりを音で楽しむ
先日、庭木の剪定をしていました。すると、すぐ近くから「ブーン」という、太い羽音が聞こえてきました。
見上げると、大きなクマバチが、新しく開いた花を忙しそうに巡っています。
「もうこんな季節か?」と思うと同時に、「ご迷惑をかけないようにしよう」と、そっとその場から離れました。
こちらが邪魔をしなければ、彼らはただ黙々と、自分の仕事を進めるものです。
時々、「庭があると手入れが大変じゃない?」と言われることもあります。
確かに、一手間かかりますが、私にとっては、庭の手入れは、「人間らしいことをする時間」であり、難しいことを考えずに、土や木に触れる贅沢な時間なのです。
もし、この時間がなければ、一日中、人工的なアスファルトの上を歩き、プラスチックのキーボードやマウスを触って時が流れてしまうかもしれないのです。
こんな風に考えると、庭木の剪定ができる暮らしも、ハチの羽音で季節を感じるのも、なんて贅沢なことなのだろう、と思うのです。

本当の心地よさ
現代は、「静寂」が求められます。
室内の音を外に漏らさないように、また、外の雑音を中に入れないように、様々な工夫がなされています。
確かにそれは快適で、合理的かもしれません。
けれど、その一方で、私たちは五感を、眠らせてしまっているようにも感じられます。
そのため、単純に五感が蘇るような音を耳にすると「贅沢」と感じるのかもしれません。
音について考えていると、幼いころに過ごした、祖父の家のことを思い出します。
典型的な農家の家で、「縁側」がありました。
天気のいい日には、祖父母が腰掛け、お茶をすすりながら、ただぼんやりと庭を眺めていました。
通りがかった近所の方が、「いい天気ですねぇ」と声をかけると、「まぁ、お茶でも飲んでいきなさい」と、そのまま縁側での会話がはじまります。
縁側という場所は、部屋の中のようでありながら、外でもあります。
屋根はあるけれど、壁はありません。
つまり、外と内の境目がとても緩やかで、常に「外の気配や音」と一緒に暮らすことがあたりまえの空間でした。
風が風鈴を揺らす音、夕立ちが近づいてくる独特の匂い。
近所の子供たちの笑い声。
そうしたものが、当たり前のように、暮らしの中に流れ込んできていたのです。
これは、「自分以外のものが、すぐ側にいる」ということでもあります。
だからこそ、昔の人は、自然に対しても、隣人に対しても、自然と頭が下がるような、お互いを気遣いあえる優しい文化を育ててこられたのではないでしょうか。
「お互いさま」という美しい言葉は、きっと、こうした「境目のない暮らし」のなかから、生まれたものなのだと思うのです。
一方で、今の街の様子を見ると、少し寂しく感じる景色に出会うことがあります。
駅のホームでも、歩道でも、多くの人が耳に小さなイヤホンを差し込んで、うつむき加減に歩いています。自分の好きな音楽やお気に入りのラジオの声を、聴かれているのでしょう。
それはとても便利で、楽しいことです。
けれど、耳を完全に塞いでしまうということは、自分だけの殻に閉じこもってしまうこと、とも言えます。
すぐ隣を歩いている人の足音も、風が街路樹を揺らす音も、誰かとの挨拶のきっかけも、全てシャットアウトしてしまっている様に感じるのです。
可能なら短い時間でも、イヤホンを外してみると新しい発見があるはずです。
最初は、何でもない雑音ばかりに聞こえるかもしれませんが、どこかに「贅沢な音」が隠れていることに気付く日がやってきます。
そして、「贅沢な音」に慣れてくると、特別な何かを用意しなくても、毎日の暮らしがより充実したものになる気がするのです。

京都府宇治市 渋谷浩一郎
◎渋谷さんの自然についてのコラムは下記でもお読みいただけます
https://e-kaiken.com/natural-link-navi/