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SAiN

2023/03/30

【Featuring SAiN76[施主様からの特別寄稿]四季めぐる空気がうまい家】「無い」からこそ得られる「豊かさ」


二月の下旬だというのに気温が十度を超え、汗ばむほどの陽気だったかと思うと、今朝は、逆戻り。
京都では雪が散らついていました。まさに三寒四温という言葉通りに、時が流れています。
もちろん、寒い日には我が家でも暖房を入れるのですが、今年は、どうしても光熱費のことを気にしながら暖房機器のスイッチを入れる冬となりました。
「光熱費を気にしなくても良い暖房器具があればいいのに」
そう思いながら、「薪ストーブ」のことを考えていました。
でも、結局何も行動しないまま、今年度の冬を終えようとしています。
そんな時にふと友人と京都の龍安寺の「石庭」に行った時のことを思い出し、「薪ストーブは欲しいけれども、無いなら無いでいいかなぁ」なんて思えたのです。
なぜ、こんな風に思えるようになったのでしょうか。



石庭って自然を大事にしてないのでは?

みなさまは、龍安寺の石庭を眺められて、何を想われますか?


 龍安寺の石庭は、枯山水の庭として知られ、世界遺産にも登録されていますので、一度は、写真などで見たことがある人が多いでしょう。

 ところが、改めて石庭を見ると、

 ・草一本・落ち葉一枚すら存在することが許されない。

 ・年中同じ風景で季節を感じることができない。

 こんな風に感じます。

 つまり、徹底的に自然を排除して、人工的に石や岩が配置された庭ということになります。

 ですから、「自然を大切にしよう」と言う風潮が強い現代社会で、「やっぱり石庭は素晴らしいなぁ」などと言うのは、どうも矛盾しているようにも感じるのは私だけでしょうか。

 その一方で、「ガーデニングが好き」という方は、それぞれの季節に応じて咲く花を見事にコーディネートして、自然豊かな季節感溢れる庭にすることを楽しんでいらっしゃいます。

このガーデニングスタイルの方が、「どう考えても自然豊かではないか?」なんて思うのです。

 でも、なぜか私は、「石庭」にも憧れの様なものを感じるのです。

 なぜ、こんな感覚が自然と備わっているのでしょう。



何も無いから見えないものが見える


 龍安寺の石庭には、自然そのものがありません。

 けれども、自由に様々なものを想像させてくれます。

 これまで、たくさんの子ども達の石庭に対するイメージを聞いてきましたが、とても面白いものです。

 ・荒々しい川を鯉が泳いでいる。

 ・冒険をしながらいろいろな山登りをしている。

 ・惑星が表現されている。

 ・たくさんの滝が流れている。

 どれが正解なんて分からないけれども、石庭を見る人が自然と風景を想像することができるからこそ、素晴らしいものなのでしょう。

 それぞれの人が存分に想像するには、ものがあってはいけない。

 だから、雑草一本も生えることが許されないのだと思います。
 もし、この石庭に様々なものがあり、見事な風景が作られていたのなら、先に紹介したような様々なイメージは湧いて来ないと思うのです。



落語が面白いのも何もないから


 こんなことを考えると、落語が現代でも愛されている理由が分かるような気がします。

 演劇や映画と比べると落語の舞台のセットは極めてシンプルです。

 お座布団に扇子や手拭いがあるだけですから。

 それでも、落語を聞いた私たちは、話をもとに様々な風景を想像して、思わず笑ってしまうものです。

 落語家の立川志の輔さんは、落語(寄席)についてこう言われていました。

 「何もないところにわざわざお金を払って、脚をお運びいただき、その上、お客様自身が、想像をして笑うのですから、奇妙なものです。皆様、ご苦労様です。」

 例え、よく知っている話であっても、聴く度に違った風景が見えるのも面白さの醍醐味です。



長男が家を離れることに…


 つい先日まで、おもちゃで遊んでいた長男が、早いものでこの春、高校を卒業し、進学のために家を離れることになりました。部屋の荷物を整理しながら、本や衣類などを処分しました。それなりに荷物があった部屋はガランとして、何もない状態になりましたが、意外と清々しいものです。

 思い出のものや写真なんかも少ないですが、私の頭の中には友達と一緒に床掃除をしたり、筋トレをしたりしている風景がしっかりと残っていますから、それでいいかなぁ…なんて思っています。

こどもたちが、心ときめくものを見つけられますように。


 ついつい私たちは、「〇〇がある方が良い・便利」なんて思いがちですが、石庭や落語など古くからある日本の文化は、「無いものの良さ」を教えてくれているように思います。

 毎日一緒に暮らす家族が一人減るというのは、寂しいものですが、「楽しく暮らしているだろう」なんて想像する楽しみが一つ増えるのです。

 そう言えば、以前から石庭に憧れていたので、庭の土をちまちまと削り、防草シートを敷いて、砂利を秋に敷きました。それでも、端の方から雑草がたくましく生えて来ています。

 徹底して自然を排除する難しさも改めて感じると同時に「何もないから豊かさが生まれる」という教えを豊かな時代だからこそ、見直す必要があるように思うのです。


たくましく生えてくる雑草。



 京都府宇治市 渋谷浩一郎


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