お知らせ

SAiN

2024/07/01

【Featuring SAiN81[施主様からの特別寄稿]四季めぐる空気がうまい家】古いけれども綺麗を目指す

春があったのかなぁ?なんて思うほど、桜が咲いてからは一気に暖かくなってきたように感じます。
そうなると、子ども達の気分はもう夏休みのことで頭がいっぱいの様です。
この夏には、アメリカから様々なご家族が、我が家に遊びに来てくれることになっているので、アメリカの子ども達にこんな質問をしたことがあります。

「日本に行ったらどんなことをしてみたい?」

この答えが、あまりにも意外で面白く感じられました。

・コンビニに行っておいしいおやつを買って食べたい。
・本場のお寿司が食べてみたい。
・古い建物を見るのが楽しみ。

日本と言えば神社仏閣のイメージが強いので、清水寺とか金閣寺などに関心があるのかなぁ?と思ったのですが、どうやらそういう意味ではなさそうです。

「新しいお店やビルが並んでいるところにも、その隙間に古い神社や古い家があるでしょ。
普通なら、それが変な感じに見えるはずなのに、変じゃないのが不思議で、面白いなぁって思うんだ。
古いけれども、綺麗で格好いいから、ゆっくり見てみたいんだ。」

私は、こんなことを思ったこともないので、とても新鮮に感じたのです。
きっと、古いものも違和感なく受け入れる街や人の雰囲気が気に入ったのでしょう。
私は、こうした会話の中でも「古いけれども、綺麗で格好いい」というフレーズが偉く気に入ってしまい、ある行動を始めたのです。



我が家の寿司桶は三十周年
ダイニングテーブルは十五周年

「古いけれども綺麗で格好いい」と思えるものと言えば、何かなぁ?と考えてみると、寿司桶を一番に思いつきました。

学生の頃に買ったものなので、特別高価なものでもありません。
また、美味しい魚が手に入った時には、お寿司を楽しんできたために、月に一度程度は、普通に使ってきたものですが、まずまず綺麗な状態です。

また、ダイニングテーブルは、現在の住まいに引っ越して以来、毎日のように使ってきました。
特に子どもが小さい頃は、お茶やお味噌汁などをこぼしたこともありますし、お醤油がこぼれてしまうなんてことも多々ありました。

両者ともなかなか過酷な条件ではありますが、「古いけれども綺麗」を維持してくれているように感じます。
当たり前のことですが、両方とも使ったあとに、洗ったり、拭いたりしてきたからだろうと思います。


長年使っている寿司桶とダイニングテーブルの天板。暮らしが付けた、いい味が出ています。



江戸時代には「樽拾い」という仕事があった。

樽や桶は、現代のように、プラスチックの容器が普及するまで、様々なところで使われてきました。
井戸水を汲み上げる桶・農業用の桶・酒樽・味噌樽…あらゆる場面で使われてきたようですが、どれもかなり過酷な条件で使われるために、壊れてしまうことも珍しくありません。

そんな壊れた桶や樽を「樽拾い(たるひろい)」と呼ばれる方々が回収し、職人が薄く表面を削り、綺麗にして組み直す。
こうして、ひとつのものを使い続けてきたそうです。
ですから、最初は酒樽だったものが、後に味噌樽として使われるようになったというものも珍しくないそうです。

知人の家具職人の方もこんなことを言われていました。

「今は、空き家が随分増えて、古い家を解体する現場を見かけることが増えたけれど、汚い大きな柱があれば、貰っているんだ。何年経ってようが、表面を磨いてやれば、綺麗な木肌が出てくる。燃やしてしまうなんて勿体ないわ。」

昔から、桶や樽に限らず、こうした考え方で、古くなったものにも、ほんの少し手を加えて、綺麗にしてまた使い続けたものは、他にもたくさんありそうです。



「よし!我が家も古いけれども綺麗」を目指そう

我が家も暮らし始めてから、十五年の年月が流れました。

毎日、拭いてきたダイニングテーブルは綺麗ですが、キッチンの天板は曇り、床は少し黒くなってきています。
もちろん、床の若干の黒味は、味わいとして残してもいいので、本当に「古いけれども綺麗」を目指していいのか…かなり思案しました。

ですが、床に使われている音響熟成木材の古く汚れた端材を、少し磨いてみて、決意することができました。

「古いけれども綺麗を目指そう」

そう決めてから、床を少しずつ磨いていきました。
手作業で丁寧に、少しずつ磨いていきましたから、地味な作業が長々と続きます。
あわせてキッチンの天板も少しずつ磨いていきました。


天板を磨いたキッチン。湯呑みが鏡面仕上げの天板に綺麗に写り込んでいます。



「大変なことをよくやるなぁ…」

なんて、言われますが、手を掛けた瞬間から、綺麗になるので面白いのです。

まだ、磨き切れていないところもありますが、概ね「古いけれども綺麗」が実現できたかなぁと思っています。

「大変なことをよくやるなぁ…」
なんて、言われますが、手を掛けた瞬間から、綺麗になるので面白いのです。

まだ、磨き切れていないところもありますが、概ね「古いけれども綺麗」が実現できたかなぁと思っています。


床を磨く前のリビング(上)と、
磨いてみた後のリビング(右)。



本当に大切なこと。

現代は、とても豊かな時代で、新しく綺麗なものを手にいれることが容易になりました。
けれども、床やキッチンを磨く…なんていう地味な作業をすると、それを作った人の知恵や技術にほんの少し迫ることができるように思うのです。

綺麗という結果も嬉しいことですが、知恵や技術に少し迫れたかも…という感覚が得られたことが大きな収穫でした。


磨いた椅子(右)と、磨いていない椅子(左)。どっちもいいですよね。



日本の街中に、新しい建物と古い建物が混在しても、違和感がないのは、きっと「古いものをずっと使い続ける」という文化が、まだ残っているためなのかもしれないなぁ…なんて思うのです。

古いものを古いまま大切に残すのも良し。
一度綺麗にして、また新たな気分で大切に使うも良し。
「どっちもいい」という言葉の意味をより深く感じています。


京都府宇治市 渋谷浩一郎
◎渋谷さんの自然についてのコラムは「自然発信基地」でもお読みいただけます
https://shizen-hasshin.e-kaiken.com/category/shizen-hasshin/