心や魂と響き合う空気を生みだす「音楽小屋」
17歳でデビューして以来、50年を超えるキャリアをお持ちのクラシックギタリストの山口修様。
13歳での「九州ギター音楽コンクール」優勝をはじめ、スペイン、フランス、イタリアなどへ留学され、国内外5つのコンクールで優勝。
日本フィルハーモニー交響楽団など国内外の合奏団やオーケストラと多数共演され、そのギター演奏は世界で高く評価されていらっしゃいます。
現在は「ギターと共に生きる」をテーマに、九州ギター音楽協会会長をつとめられ、地元・長崎をベースにしたギター教室や、各地での演奏会などを開催。
FM長崎の音楽番組でパーソナリティーもつとめられています。
今回は、山口様の活動のベースとなっている、音響熟成木材と幻の漆喰でリフォームされた「音楽小屋」をお訪ねして、この素敵な空間のことはもちろん、音楽のこと、「空気」の大切さのことなど、いろいろなお話を楽しくお聞きしてきました。
不登校を救ったギターとの出会い
山口様がギターと共に生きていくことになったのは、不登校が原因でした。
秋田の男鹿半島の生まれで、3人兄妹の末っ子。
生まれてすぐ長崎に引越してこられました。
当時は「汽車に揺られて2日かかった」と、お母様がおっしゃっていたそうです。
魚の研究者だったお父様の仕事がら転校が多く、学校でなかなか話もしてもらえず、部屋にこもってしまうようになって、不登校に・・・。
そんなとき、ギターとの出会いがありました。
「小学5年生、10歳のころ、兄が使っていたギターを捨ててくれたんです。それを僕が拾ったんですよ(笑)。で、おふくろに“ギターを習いたい”って言ってね。そのときまで、何かをやりたいとか言ったことがなかったので、おふくろがびっくりしてね。急いでギターを習える教室を探してくれたんです。次の朝になって、僕の気が変わるかも分かんないからさ(笑:山口様)」。
道具を持つ、木を持つことで救われた
さっそくギターを弾き始めた山口様には、「ギターでしゃべる」ような感覚があっとのこと。
「登校拒否児って、自分の世界が狭いからね。みんな窓を閉めた状態でしょ。人と話すチャンスがないから、楽器を持つことが“お話しするきっかけ”みたいなね。楽器を弾いていると、なんか人とつながったような気持ちになるんです。“道具を持つ”、僕の場合ギターだから“木を持つこと”で助けられたわけですよ。人によって、例えば万年筆であったり、いろいろ違うでしょうが、それを持つと安心することがありますよね。僕は、ギターを持つと安心したのね(山口様)」
ギターが弾けるようになり、山口様はだんだんと学校にも行けるようになられたそうです。
お兄様と共有していた「共生」というテーマ
「兄貴がよく言ってたんです、“おれがギター捨てんかったら、お前ギターやってないだろうが”って。えらい恩着せがましくね(笑:山口様)」。
2022年に他界された山口様のお兄様である山口進様は昆虫植物写真家で、あの「ジャポニカ学習帳」の表紙写真を40年以上にわたって手がけられていました。
「兄貴の写真は、“共生、共に生きる”というのがテーマだからね。それでずーっとがんばってきた。たまたまなんですけど、僕も“共生、ギターと共に生きる“ってことを言ってきたんです。音楽、文化が、地球と一緒になるってことですね。兄とテーマが一緒だったんですよね(山口様)」。
ヨーロッパ留学で武者修行 人生に大きな力をもたらす「音」で育てられる
山口様のギターの才能は、見事に開花します。
13歳で国内有数の歴史をもつ「九州ギター音楽コンクール」優勝。
高校を卒業後、スペイン給費留学生試験に合格し、ヨーロッパへと旅立たれます。
「初めて行ったのは、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラでね、有名な巡礼の町です。そこでギターに限らずいろんな人たちが勉強する、有名な国際講習会が開かれるんです。世界中から300人ぐらい来てて、みんなに宿泊所があって、3ヵ月間、レッスンを受けるんです(山口様)」
山口様は、そこで受けた「ギターの神様」のレッスンに衝撃を受けられます。
「レッスン場が教会なんですけど、“石と木”でできてるんですね。アンドレス・セゴビアっていう、この人の演奏にみんな憧れてる神様みたいなギタリストが教えてくれるんだけど、この人のギターが、ほんとね、すごい音で聴こえてくるんですよ。教会の空間の音が素晴しいんです。僕が弾いても、“僕って上手!”って自分で思うぐらいね(笑)、レッスン場の教会の音響がいいんですよ。だから、その“音で育てられる”と思うんですよね。世界中から集まってきて、そこで音を出すことで、自分の人生の、なんていうの、もう、ほんとに大きな力をもらってるんだよね。壁が石で、あとは木でできた空間でね、“こんな音が出るんだ”って、ほんとにショッキングでしたね(山口様)」
フランスのアルルで「空気に守られている」ことを実感 長崎への帰郷を決心
スペイン、フランス、イタリア、ベネズエラ・・・山口様の海外での武者修行は、およそ2年におよびました。
スペインでは国の援助がありましたが、それ以外の国では、コンクールの賞金をなどで暮らされていたそうです。
ヨーロッパでの生活は、「文化」の在り方を実感する日々でもありました。
「ヨーロッパは“文化”をすごく大切にするし、“生きる”=“文化を育てる”ってことになってるんです。みんなアパートで暮らすでしょ。アパートで暮らすということは、そのコミュニティで“空気づくりをする”ということがすごく考えられていて、中庭があって、そこにみんなが集まって過ごすわけですよ。そんな日常を見てるだけで、“文化が育っていくんだなあ”と思いましたね(山口様)」
当時のヨーロッパではテレビ放送も1日4時間ぐらいで、娯楽といえばコンサートや映画に出かけることでした。
「音楽コンクールって、予選から始まって、一週間かけて開催されるんです。そのあいだ、みんなが応援に来てくれるんですよ。僕が世話になったホテルなんてのは、僕が帰ってくるのを、ほんとにいつも待っててね。優勝したときは、すごかったね。小さなホテルだったけれども、ほんとに歓迎してくれて。ワインの二日酔いを初めて知りました(笑:山口様)」。
山口様が、アルフォンス・ドーデの短編小説とジョルジュ・ビゼーによる音楽『アルルの女』で知られる、南フランスのアルルを訪れたときのこと。
「アルルはすごくいい町で、まちの空気が素晴しいんです。今思えば、僕はずーっと“空気”に守られてきてるんですよね。で、アルルのまちを見たときに、“長崎でギターをやりたい”と思ったんです。長崎に似てるんですよ、海辺の町でね。時がゆっくり過ぎてゆく。僕は東京がダメでしたっていうか、都会に弱かったので。都会にいると、不登校だった昔の自分が出てきそうな気がしてね、病気になるんじゃないかと(笑)。だから、長崎とそっくりなアルルの町で、“日本に帰ったら、長崎でがんばったほうがいいんじゃないか“って、思ったわけです(山口様)」。
「コンサートホール40」を設立
帰国後、山口様は、日本フィルハーモニー交響楽団との共演などで得られた資金をもとに、長崎に事務所と演奏する場を兼ねた「コンサートホール40」を設立されます。
「長崎に帰って気づいたのが、なかなか響きのいいホールがなかったんですよ。いい雰囲気で聴いてもらえないと、音楽って流行らないわけね。だから、いい場所をつくらないといけない。それで『コンサートホール40』という場をつくったんです。40の席をおいて、毎日のように演奏していれば誰か来てくれるだろうと思ったら、ぜんぜん違ってて、誰も来んわけです(笑:山口様)」。
あちこちの会社のオーナーさんや音楽関係の団体などを訪ね、会員になってもらったり、演奏会のチケットを販売してまわられたそうなのですが、結果的に、いろいろな人と出会うチャンスになったとのこと。
そして何より、ソプラノ歌手の奥様との出会いにもつながったのでした。
「自分でチケットを売って、自分でチケットをもぎって、演奏して、片づけて」と、笑顔で当時を振り返られる山口様。
そんな山口様について、奥様は「人をひきつける何かがあるんでしょうね。昔からいろんな人が集まってきてくれて、力をかしてくれてね。そんなかんじですよね」とおっしゃっていました。
「初代音楽小屋」を幻の漆喰でリフォーム
「コンサートホール40」での活動を経て、山口様は、初代の「音楽小屋(※現在とは別の場所)」という新たな場を立ち上げられます。
「初代の音楽小屋は、電車の線路の横の築50・60年ぐらいの古い一軒家で、掘建小屋みたいだったんです(笑)。だから“音楽小屋”と名前をつけて。“小屋”って名前だったら、みんなが気安く来てくれるんじゃないかとも思ってですね(山口様)」。
この「初代音楽小屋」のリフォームを担当されたのが、弊社の取引先(株)こころ工房の井手社長でした。
井手社長と山口様との出会いは、今から20年ほど前、大村市内のレストランで開催されていたギターコンサートでした。
井手社長は、山口様の見事なギター演奏にすっかり魅了されたそうです。
その後、山口様のギター教室に通うようになっていた井手社長は、山口様を慕われる方々と一緒に、自発的に初代音楽小屋をリフォームされました。
「実は、その頃、病気の兄に肝臓をあげるというね、大変なときだったんです。一週間ぐらいで退院してきてね、音楽小屋に行ってみたら、みんなが一生懸命、壁に漆喰を塗ってるんだよね(笑)。その時の思い出は、忘れられないんですよ。空気ががらっと変わってね、それから、ほんとに狭い場所なんだけども、みんな集まるようになってきたんです(山口様)」。
長崎県立美術館のコンサートで音響熟成木材の反響板を使用
当時、完成して間もなかった長崎県立美術館のホールで、山口様のギターコンサートの開催が決まったときのこと。
井手社長の名刺に書かれていた「音響熟成木材」という言葉を覚えていらっしゃった山口様は、ステージの反響板について井手社長に相談されました。
「県立美術館(以下「県美」)のホールで、バッハのチェロ組曲という大作を演奏することになったんです。県美のホールはまだ新しくて、密閉感が強いところで演奏しなきゃいけないってことで、井手さんに相談したんです(山口様)」。
たまたま、こころ工房さんのスタッフの方が音響設備に詳しかったこともあり、音響熟成木材を加工したオリジナルの反響板を製作し、山口様の周囲を囲むようにステージに配置することになりました。
「音響熟成木材が“バッハつながり”ということもあって(※音響熟成木材はバッハの楽曲を聴かせながら熟成されます)、ステージに配置された木材から力をもらって、いい空気の中で演奏できて、“人の心が入った”みたいなコンサートになりました。そもそも“反響板”というのは、音を跳ね返す力を持っているんですが、それにプラスして得られたのは“空気感”なんですよ。“あったかさ”とか“音楽をやっている喜び”みたいなものを生み出せたんですよね(山口様)」。
音響熟成木材の反響板がある場合とない場合では、大きな違いが生まれるようです。
「音には、核になる中心の音とその音を覆っている空気があるんです。いいホールだと、その空気が聴こえてくる。音響熟成木材の反響板があると、音がぜんぜん違いますよ。それと、聴く人たちの心の問題も違ってくるでしょうね。この木の色を見るだけでも、心がやわらかになるだろうしね(山口様)」。
完成見学会でお披露目コンサートを開催
それからご縁が深まって、こころ工房さんの完成見学会で山口様ご夫妻の演奏と歌による「お披露コンサート」が行われるようになりました。
最初は、こころ工房さんの周年記念として企画されたそうですが、「自分たちが作った家が完成して、お施主様が入居される前に、お坊さんの“魂入れ”みたいなかんじで、山口さんと奥さん(ソプラノ歌手)にコンサートをしてもらったらいいんじゃないか(井出社長)」ということで、こころ工房さんの名物イベントとなりました。
最初の頃は、音響設備を使っていたそうですが、生音の方が良いことに気づき、その後はずっと生音で行われたそうです。
「この自然素材の家は、音響がいいんですよ、ほんとに。こころ工房さんが作っているお家は、みんな音がよかったですね(山口様)」。
生涯の拠点となる「音楽小屋」の誕生
現在の「音楽小屋」が誕生したのは、今から15年ほど前。
床はPタイル(プラスチック樹脂を原料とした単層タイル)で臭いも気になっていた空間は、入居前に音響熟成木材と幻の漆喰でリフォームされ、気持ちのいい空間に一変したとのこと。
「一生の最後の拠点にしようと思ったんですが、そういう意味では、ゆったりできて長く居れるいい場所になったと思います。ほんとに、たくさんの人たちがここに来てもらってます。小さい頃の僕とおんなじような人たちも、かなり集まって来る。情緒障害の子とかね、いろんな問題をかかえてるお子さんとお母さんがいらっしゃって、だんだん長居できるようになっていくんですよ。僕自身が、この空間に癒されてるからね。癒されてるから、余裕がもてるわけです(山口様)」。
「音楽小屋」から「ギター大好き展」へ
「長崎の人に助けられてきた」「ひとつひとつの出会いに支えられてきた」という山口様。
「“小屋”という精神を忘れたくない」という思いと「ギターと共に生きる」というテーマのもと、ギター教室を開かれていて、毎年『ギター大好き展』というイベントを企画・主催されています。
「僕は、登校拒否のとき学校さぼって時間をつぶすところが、楽器店だったんですよ。“行ってきまーす”ってカバン持って出て行くんだけども、楽器屋さんに忍び込むわけ。ほいでずーっと夕方までいるんですよ。お店の人がごはんつくってくれたりしてね(笑)。なにをしてるかっていうとね、ぼーっとしてますよ(笑)。でもさ、楽器がいっぱいあるでしょ、楽譜がいっぱいあるでしょ、で、レコードもたくさんあった。ほいでね、それをうれしそうに買いに来る人たちがいっぱいいるわけ。当時はね、音楽好きな人たち、けっこういっぱいいたからね。そういう人を見るのが、よかったね。だからね、そういう場所がほしいと思って、『音楽小屋』とか『ギター大好き展』というイベントをつくったんです(山口様)」。
ギター教室の生徒さんは、これまでに100人を超えるとのこと。
「ほんとは演奏家だけでいきたかったけど、結局それには“お客さんが要る”っていう、当たり前のことに気づいてね。“お客さんとどれだけつながっているか”ってことが、自分の繁栄にもつながるんですよね。今では、ギター教室の80歳になるおじいちゃんがね、“先生をなんとかしてやらんばいかん”って、来てくれるわけですよ。それが“おかげさま”なんですよ。90歳で“ギターを始めたい”って来られたおばあちゃんもいるんです。施設から車で送ってもらって、終わったら迎えに来てもらってね。でね、ちゃんと弾けるんですよ、そのおばあちゃん。楽しんでるからね。レッスンが終わったら、おばあちゃんとゆっくり話をしたりしてね。だから、“文化”って、僕はそういうものだと思ってるんですよ。楽しんで、自分の生きがいにしてもらう。それがいちばんなんですよ。自分の感性でつみあげていくことが、どんなに楽しいことかね(山口様)」。
音が育ててくれる 素材が教えてくれる
山口様のお話で特に印象深かったのは、「音が育ててくれる」ということ。
「“音”って、僕らの耳に慣れ親しんで聴こえてるわけだけど、その音がすごく大事で、“音が育ててくれる”ということがあるんですよね。例えば、“木の箱”、コンサートホールがそうなんだけど、音を出して育てていくものなんです。10年後、20年後、30年後と、音がよくなる。上手に育てていくと、よくなるわけね。ギターもぜんぜん違います。新品は弾きにくかったりするけど、だんだんいい音が鳴るようになってくる。だからやっぱりね、演奏する人のハートを受けて、素材が育って、素材が教えてくれるんです。だから、そういう意味では、空気がうまい家とおんなじかもしれませんね(山口様)」。
なるほど確かに、自然の恵みがいかされた素材は、私たちに様々なことを気づかせてくれます。
いい素材を使った楽器や家が、時と共に味わいを増し、美しく変化していくところも同じです。
「音楽小屋」の魅力も、山口様ご夫妻のお人柄はもちろん、自然素材が生み出す空気・雰囲気にもあるのだと思います。
人の心や魂に響く素材が生み出す「場の空気」が大切
「ほんとは、“音楽の場”という“空気”が売り物なんですよね。場の空気がよくない限りはね、続いていかないし、ファンもできないんですよ。今ここの“音楽小屋”でやってるギター教室の生徒さんって、やめる人が少ないんです。これはね、僕じゃなくて、この場所についてる。ここだから来れる、続けられるって思うんです。生徒さんたちが、音楽だけでなく、人と人との人間的なつきあいをしてくれるっていうのはね、やっぱり“場の力”なんですよ。“場の力”がないとだめなんです。だから、この場の“空気”っていうのは、とっても大切なんです(山口様)」。
「オーディエンスは演者の鏡」ともいわれます。
「空気がうまい家」も、そこに住まわれる方々の暮らしと響き合い、より素敵に、より心地良い場所になっていくのだろうと思います。
「“自分とともに家が育ってくれる”っていうかね、家は朽ちていくものじゃなくて、やっぱり家が育っていく、自分たちと一緒に育て合うことだから、そういう意味での素材選びが大事でしょうね。素材っていうのは、柔軟性があるものじゃないといけない。人の心や魂に響く素材ですよね。それと、家も音楽も、“空気のつくり方”っていうのが大事だと思います。どんなに僕ががんばったって、空気づくりは一人でできるものじゃないですよね。いい空気づくりは、やっぱり、みんなの力を合わせないといけないですね(山口様)」。
世界的なギタリストでありながら、とても親しみ深くて優しく、ユーモアたっぷりなお話を聴かせていただいた山口様。
胸に響く素晴らしいギター演奏もお聴かせいただきました。
この「音楽小屋」に私たちの自然素材がいかされているのは、本当に光栄なことです。
ここで奏でられる素敵な音色が広がりつながって、たくさんの人の心深くに届いたらいいなと思います。
山口様、奥様、ありがとうございました。